私の恥部を晒すようですが、今回は私の投資遍歴についてまとめます。
これは起業か?高校時代に友人に服を売る
私が家族や親戚以外から初めて金銭を得たのは高校生の頃でした。高校受験でいわゆる進学校に入学した私でしたが、小学校からの一貫校でしたので周りはお金持ちのご子息ばかりでした。
その高校では高校生になると服装の制限がなくなり、お年頃の高校生たちは持てる知識を総動員しておしゃれに磨きをかけるわけです。
私の家庭は決して裕福というわけではありませんでしたが毎月5000円くらいお小遣いをもらっていたので、なけなしのお金を握りしめて裏原宿*1に出かけて服屋に列を作ったものです(遠い目)。
とにかく服には興味があったので手当たり次第に服を購入するわけですが、流行り廃りがあるのでいつまでも同じ服を着れないし、バランスやらヘクティクやらで新作が出ればやっぱり欲しい。そこで着なくなった服を売ることに決めたわけです。
古着屋に売るのも手でしたが二束三文で買い叩かれることが目に見えていたので、私自身が販売者になることに決めました。
第一に販売するターゲットは誰にするか、いわゆるマーケティングですが、これが重要だとなぜか確信してました(商人の祖父母の血?)。ファッションに興味を持っている弩メジャーな奴は絶対に買わない、買うのはおしゃれにそこそこ興味はあるがメインストリームにいないもやし達(失礼)だ!と。
そして次にやったのが、販売者に信頼性を持たせること、ブランディングです。私自身がある程度おしゃれに見えていること、商品の返品に応じることを約束しました。
最後に、商品を買いたくなるようにすること、ストーリーの付加です。商品のブランドについてや購入場所、有名人の着用などについてポップにまとめ貼り付けました。
用意してあった商品は全てその日のうちに買い手がつき、ある程度まとまったお金を手に入れたのを記憶しています。
結局、服を高校まで持ってくる手間が大きかったのと大学受験に突入してしまい1回きりで打ち切りとなりましたが、これが私の商売の原体験だったと思います。
社会人になり貯蓄道に入門し損ねる
その後、そういった商売ごとからは全く遠ざかっていました。なぜかといえば実家から離れて独り暮らしを始め、毎月決まった日になると仕送りが入金され、さらにのうのうとマイペースに生活できたからです。部活にも精を出していましたが、合宿や試合で遠征となれば親に無心の電話をすれば仕方ないと追加で入金もしてくれました。本当に親泣かせな愚息です。
そのまま無事に医師国家試験に合格し晴れて医師の道を歩み始めるわけですが、働いてお金を稼ぐということがこんなに大変かと嫌という程思い知ることになります。
大学病院での初期研修だったため、民間病院よりも給料は控えめな上、容赦なく当直、残業が入ってくるわけです。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と両親から言われていたので、それでもへこたれずに研修に努めました。
するとどうでしょう、少ない給料ですが使う暇がないので2年間の研修期間で200万円ほど貯まっているじゃあーりませんか!これはすごい気持ちいい体験でした。何せ今までみたことないような金額が並んでいるわけです。
しかし、このまま貯蓄道に入門するほど私は出来た人間ではありません。ここで研修のご褒美と称して自家用車(しかも新車)の購入の頭金にあててしまいます。世間はハイブリッドカーがメジャーになり出した頃で、新し物好きな私はすぐに飛びついてしまったわけです。その頃の私の頭の中では「燃費浮くし軽減税率でトントンだろう」という訳の分からない妄想で自己正当化が行われていました。
所持金がまた振り出しに戻った私ですが、大学医局からの派遣で地方病院での勤務がスタートします。収入が一気に上がって、住むアパートや飲みに行く居酒屋の質が上がって行きます。「このワインは、カリフォルニアの○☆※...」などという妄言を覚えたのもこの頃でしょう。貯蓄のちょの字もないまま、麻酔科医としての経験を積む毎日を数ヶ月過ごしました。
そんなある日の当直中、ふと麻酔科室の本棚に目をやると先輩医師たちの高尚な麻酔科学の蔵書が並んでいる中の一角に、「儲かる大家さんは○×」「節税スキーム□□」といったような投資関連本が並んでいるコーナーが目に入りました。
何となく投資だとかは「怖い」「悪い」というイメージがあったので、周りの先生の目も気になりその場で読むことは出来ませんでした。それでも悪魔のささやきと言いましょうか、タイトルにすごく惹かれた本(たしか節税関連の本だったかと)があり業務終了後に全員帰ったあとを見計らって手を伸ばしてみました。
内容についてはほとんど頭に入らなかったですが、とにかくお金に対して無知であることはその分自分が損をするんだという強い印象を受けました。そして、その体験からお金というものについて勉強を始めることにしました。
金持ち父さん貧乏父さん
住んでいた地域では一番大きな本屋にいき、お金に関する本を買ってみることにしました。どんな本を買えばいいのか、それすら全く検討もつかない訳です。投資コーナーの棚の前を回遊魚のようにウロウロしながら、次々に手にとって中身を見ますがどれも専門書のようで3文字目くらいで眠くなってしまいます。
よく分からないなら悩んでも仕方ない適当に選んでみるか、ということでジャケ買いすることにしました。その時ちょうど目に止まったのが、ビビッドな紫の表紙の本、「金持ち父さん貧乏父さん」でした。「なんかゲスな感じでいいじゃん」ということで購入決定し早速読み始めます。
内容は是非本書をお手に取っていただくとして、いかにその当時の私がラットレース*2の中で生きていたかということを嫌という程に気付かされました。そしてこれからは投資をすることで不労所得を手にし、経済的自由(=時間的自由)を手に入れたいと考えるようになります。
そこから貯蓄道に入門し、生活の質をある程度維持しながら、金融資産を貯めるようになっていきました。
株式投資
金融資産が1000万円を達成する頃、私は地方病院での2年間の防人*3を終え、古巣の大学病院へ戻ってきていました。
1000万円が貯まった辺りから何らかの投資を始めようと考えていた訳ですが、やはり始めやすい株式投資を始めることにしました。
株式投資も個別株投資と信託投資と大別できますが、最初に手に取った株の本が個別株投資でしかもゴリゴリのチャーティストの方が買いた本でしたので、私もこれでいこうと決意するわけです。
証券会社に口座を開設し、さっそく100万円ほど入金し実際に運用してみることにしました。
たしか他業種が全く分からなかったので、国内の製薬業界に投資したと思います。そして初めて買った株が、何と買った後に5%ほど上昇し利食い。数日で数万の利益をあげることができました。完全にただのビギナーズラックなのですが、これで気を良くした私は次々に個別株に手を出していきます。
「なんだー株って簡単じゃん」と言わんばかりにマネーゲームに興じてしまった訳ですね。その代わり情報収集は欠かしません、何せ大切な身銭を切っているのですから。
しかし、そんな中ある暴挙に出ます。全株を一旦引き上げ、安パイの株ひとつにまとめてしまったのです。たしかウォーレンバフェットの長期投資について書かれた本を読んで、長期投資しながら配当金得てじわじわ資産を増加させていこう、という戦略からだったと思います。長期投資自体は成績からいっても非常に優れた戦略なのですが、それには若い優良企業を見抜く目と強いメンタルがなければ絶対に達成されません。
ちなみに絞った先は某メガバンクの株で、その理由は出来高の高さ(市場の注目度が高いことを反映)と配当率(3%くらい)でした。また当時は仮想通貨もほとんど出回っておらず、「マイナス金利」も考えにも上らないような状況だったため、メガバンク株の安定性が市場で最も高いと判断したためでした。
それで何が起きたか。
イギリス国内でEU離脱が国民投票で可決されたのです(2016年6月23日)。
ニュースが出てから一斉に市場は「売り」モードに。実はそれまで私はまともに損切りをしたことがなかったのです。下がってもまた買いが入って元値に戻るだろうとタカをくくっていましたが、あれよあれよと株価は暴落。結局売り抜く決心がつかず、株は塩漬け状態に。。
暴落の数ヶ月後、購入時の価格に戻った時には、当初の長期投資の考えはどこへやら、すぐに売ってしまいました。この経験から値動きの大きな投資に自分の性格は明らかに向いていないと思い、それ以降は個別株投資はやめてしまいました。
ちなみにインデックス投資も一時期やりました。株式投資の名著「ウォール街のランダム・ウォーカー」を読破し、その理論から国内・海外株式と国内・海外債券をまとめたインデックスファンドを保有していました。これは投資成績も良好だったのですが、次に述べる不動産投資に回すため解約しました。また種銭ができたらインデックス投資に戻ってこようと思います。
不動産投資(ワンルームマンション投資)
「金持ち父さん」には、自前で大金持ちになる方法は、①事業を持つこと ②投資すること ③不動産 と書かれています。株式はトレードの手間暇がかかり、事業をもつには当然利益を生み出すシステムづくりをしなければなりませんので、真の意味の不労所得は不動産だろうと思い至り不動産投資に乗り出します。
不動産の情報を集める中で、重吉勉氏の書籍に至り、3冊ほど通読しました。いずれもワンルーム中古マンション投資のススメについて書かれているのですが、それもそのはず重吉氏はワンルームマンション投資仲介会社大手日本財宅の社長だったのです。
日本財宅のホームページでオーナーさんの声をペラペラ覗いていると、何とそこには見慣れた姿が!大学時代の部活の先輩が後ろ姿ですが出ているではありませんか(後ろ姿だけで分かってしまうその先輩のキャラクターには脱帽です)。
早速先輩に連絡し、会社を紹介してもらいました。
すぐに担当者さんと面談し、とんとんと話が進んで、思い立ってから約1ヶ月程度で大家さんになってしまいました。
現在自宅マンション含め3部屋のオーナーとして活動しています。この辺の話も今後詳しく書いていこうと思います。
医院開業
そして究極の投資とも言えるのが、事業投資=医院開業です。
詳しい開業の流れなどは別記事にまとめていきますが、開業するに至った経緯について少し。
ほとんどの麻酔科医は手術室のある規模の大きい病院で勤務します。一部の麻酔科医はフリーランスといって、病院と個別に契約を結び非常勤体制で勤務している方もいます。
麻酔科医である限り、麻酔(=手術麻酔)と縁は切れないわけですが、どうゆうわけか私はいつしか手術麻酔にときめかなくなってしまっていたのです。興味があるのは専ら手技*4で、麻酔の維持*5についてはこの先死ぬまで続けるのは苦痛だなとさえ思っていました。
というのも麻酔科専門医クラスになると麻酔の維持で困ることはそれこそ年に数回程度で、それ以外の数百例はずーっと安定してやることがないのです。さすがにスマホいじくりまわすわけにもいかないので、ただボケーっとしてることも多かったなー。
それでも私の世代の麻酔科医は外科医の先生から感謝の言葉を頂けたりするので、やりがいはあるのですがそれでもあまりクリエイティブな仕事とは思えないなと。
とにかく手技だけやるにはどうすればいいか、と考えたとき一つの考えに至ります。
「そうだブロックの専門家になろう」
神経ブロックは自分にとってもかなり好きな手技で、注射一本でウソのように痛みが消失するのを何度も目の当たりにしていたので、これは手も心も満足できそうでいいぞと思ったのです。
神経ブロックを打ち続けるとしたらどんな場面か。それを突き詰めた先にあったのがペインクリニックでした。ペインクリニックは診療科を超えて痛みの治療をする外来のことを指します。
思い立ってからの行動は早かったです。それまで全く興味を示さなかった大学のペイン外来に顔を出し学びながら、ペインクリニックのマーケット調査をしました。開業準備を始めるのも時間の問題でした。
開業準備を始めて1年半後の2018年4月に東京都内に落下傘開業*6を果たします。開業や現在の診療内容についてはまた機会をみて記事にしようと思います。
番外編:ふるさと納税
これはやっただけ見返りがあるので、やらない手はないと思います。今年から徐々に締め付けが厳しくなっているようですが、私自身は3年前くらいから始めています。
詳細省きますが、今まではまとまった金額を納税することで、空気清浄機(約5万円相当)を2台、革のビジネスバッグ(約7万円相当)などを手にしています。
私は開業したてなので、開業費を経費計上してどうあがいても赤字決済なので、今年は関係ないですが、来年以降は再開予定です。
まとめ
今回はアネスラボの今までの投資遍歴について記事にしました。
過去の失敗経験を晒すのは恥ずかしかったのですが、これももしかしたら誰かの役に立ってくれるかもしれません。
全体通して共通しているのは、事前にその分野に関わる書籍を複数読んで勉強してから始めることで多くの凡ミスを避けられたことと思います。
またお金は天から降ってくるものでなく、自ら掴み取るものだと信じています。より多くの方が健康で安定した生活が送れますよう、今後も情報発信していきます。